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2012年5月

2012年5月28日 (月)

復興支援のカタチ

被災地を応援するためのカタチはいろいろあると思う。
義援金、ボランティア、観光、土地のものを買う。etc

復興にはかなりの時間がかかる。
私達が出来ることは応援することを止めないことだ。
そして忘れないこと。

東北でお酒を沢山買った。
酒好きな両親を喜ばせるためでもあり
被災地を応援することにもなるからだ。

自己満足。
それでいいと思う。

何もしないでいるよりは
どんなカタチでも何かしているほうがいい。

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2012年5月27日 (日)

被災地の声

南三陸町に行った。

町は壊滅状態。
あまりの状況に、言葉が、胸がつまってしまう。
一年が経っても復興という言葉はまだまだ遠いことのように感じた。

だけどそんな中で、町の人のメッセージを見つけることができた。
「なつかしい未来へ」
「よみがえれ故郷、ふんばれ南三陸町」

被災地の人たちはがんばっているんだ。

だから私たちは忘れてはいけないと思う。
あの日の出来事と被災地の思いを。

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ウミネコ

ウミネコと一緒に松島を巡る。
穏やかな海と元気な鳥達を見ていると
なんだか希望が湧いてくる。

「松島や ああ松島や 松島や」♪

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2012年5月26日 (土)

陸前高田での出会い

陸前高田で一人のおじさんと出会った。
高台にある神社に行きたくて、
入ってもいいのかを尋ねたのがきっかけだった。

そのおじさんは私たちにいろんな話をしてくれた。

被災して家を失ったこと。
海辺の町を再生するために、まず土地自体を8m高くしなければならないこと。
その土をどこから持ってくるか、また、今ある瓦礫の山をどうやって処分するか。
復興には10年かかるといっていた。

自分の家を失い、町を失い
前を見るだけでもすごくエネルギーのいることなのに、
おじさんは、「震災後、私たちは全国の方に助けてもらいました。
物資の配給やボランティアなど、ほんとに沢山の方に助けられて感謝しています。」
といっていた。

そして感謝の思いと希望を忘れないために
家の跡地に黄色いハンカチを掲げているのだといっていた。

当たり前にあったはずの日常がなくなった時、
私だったら気丈にいられるのだろうか。

私はただ話を聞くことしか出来なかったけど、
おじさんの姿、想いを知ってどうにか繋げていきたいと思った。
たいしたことは出来ないかもしれない。
だけどこの体験を無駄にはしたくない。

遠く離れた大阪の町からでも出来ることを考えようと思う。

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※奥の階段途中に立っているおじさんの高さまで津波が来たそうです。
 写真は陸前高田にある諏訪神社前。

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2012年5月 7日 (月)

忘れてはいけないこと

GWを利用して被災地の復興ボランティアに行った。

場所は福島県南相馬市。
原発から近い小高の町は先月まで警戒区域だったこともあり
時が止まったままの場所だった。
家が崩れたままの所や車が道路脇へ乗り上げたままの所。
地震や津波の激しさは自分の想像を遥かに超えていた。

今回の作業は個人営業をされていたお店の片付けと瓦礫処理。
そして仮設住宅を周り、住んでいる人への世帯数調査と物資配給の案内だった。

案内をしながら住民の方と話が出来た。

宮城の方はボランティアも沢山入り、
復興支援プロジェクトもあって復興が進んでいるけど
福島は原発問題があるから人も来ないし復興が進まない、
取り残された、忘れられた県だといっていた。

何だかどーんと胸にひびいた。
前を向いているようで、
でもどこかで目をつぶって過ごしていた現実を
突きつけられたような気がした。

震災の後、復興が進んでいたように思っていたけど
忘れてはいけないのが原発問題だ。

原発を停めること、また動かすこと。
意見は様々だと思うけど、
理想だけで言えば無い方がいい。

でもその為には国民全体がライフスタイルを変えないと現状は何も変わらないと思う。
豊かで便利なことはありがたいことだけど、
過剰すぎる贅沢な生き方は、やはりどこかに溝をつくってしまう。

復興したから終わりではなく、
震災から学んだ課題を私たちは忘れてはいけないと思う。

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※写真は福島県南相馬市小高地区

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